2020/09/24 17:55

バンコクのプラカノン地区を歩いていた夜の事だった。木でできた古く小さな船着場に、顔立ちは綺麗だがボロボロの服を着た40歳くらいの女性が座っていた。汚れた皿の上の残飯を手で食べているところを見ると、浮浪者の様だった。私はその場を離れようとしたが、その船着場に係留されている船に目が止まった。この船は作られてからかなりの年月が経っていることを、先端が左へと曲がっていることが物語っている (船は通常左舷側を桟橋へ着ける為、先端はロープにより左側へ引っ張られる)。 彼女が話しかけてきた。何を言っているのか分からなかったが、「乗りたいの?」と聞いている様な気がしたので、私は首を横に振った。どうやらこの細くて小さな船は彼女のもので (いや、本当は彼女の所有物かどうかは分からないのだが) 、人一人分のスペースしかないところに住んでいるようだった。先端の装飾は古く汚れていたが、タイでよく目にする新しい造花が何十も吊り下がっているボートよりも、何故か美しく見える。エンジンをふかしてオイルを垂れ流しながら運河を走る新しいボートが今のタイだとすると、この木でできた今にも沈みそうな手漕ぎボートは、古き良きタイである。 「この船には長い歴史が刻まれている。いつまでもこの川に浮いていて欲しい。」 彼女はそんな私の気持ちを知る由もなく、不機嫌そうに残飯を川へ投げ捨て、遠くを虚ろな目で眺めていた。